内藤記念科学振興財団の創立者・内藤豊次氏はどんな人物?プロフィール・経歴を知ろう!

創業者を知ろう!

内藤記念科学振興財団の創立者である内藤豊次氏はどんな人物なのか?プロフィールや経歴のほか、実績などについて調査しました!

内藤豊次氏とは?

内藤記念科学振興財団の創立者である内藤豊次氏は1889年8月15日福井県で生まれました。

大手製薬会社であるエーザイ株式会社の創業者であり、元社長です。
聡明で、中学校2年生の時点で旧制高等学校卒業程度の学力を有していたそう。仕事の傍らパルモア英学院(現・パルモア学院専門学校)を卒業しました。
戦前に、日本の薬業界が輸入品に頼っていることに対して、日本でも新薬の研究開発に力を入れなければならないと考えていたといいます。
陸軍師団の1つで衛生兵を務めた後、薬局や製薬会社勤務を経て、新薬研究開発を目的とした合資会社桜ヶ岡研究所(のちのエーザイ)を独力で創業しました。日本初のビタミンE剤などの開発販売を手掛けています。

桜ヶ岡研究所を存続させるため、軍需生産を目的とした日本衛材株式会社を設立。1944年に2社を合併し、日本衛材株式会社を設立します。
1955年に社名をエーザイ株式会社に変更しました。その後社長職を退任し、代表取締役会長となりました。また、1969年に内藤記念科学振興財団を設立し理事長を務めました。

内藤豊次氏の経歴・実績

・1905年 大阪へ出て海老江のボタン工場に奉公
・1906年 神戸のドイツ人経営の貿易商ウインケル商館に勤務。夜は神戸パルモア英学院に通う
・1909年 徴兵検査に合格、東京九段の近衛第二聯隊へ入営し衛生兵となる
・1911年 除隊し、神戸の英人経営薬局タムソン商会に入社
・1915年 第一次世界大戦でタムソン商会閉鎖。田辺五兵衛氏の紹介を受け、東京の田辺元三郎商店に入社、貿易業務担当
・1924年 外国雑誌からヒントを得て、芳香性ヒマシ油カスタロールを開発発売。以後、1933年までの間に、鎮咳剤チミツシン、脱毛剤エバクレーム、スポーツ薬サロメチール、一粒肝油ハリバなどを手がけ、一大マスコミ品に育てる
・1935年 46歳の時、株式会社田辺元三郎商店常務取締役に就任
・1936年 田辺経営のかたわら医薬品の研究開発を自ら構想して合資会社桜ヶ岡研究所を設立
・1941年 日本衛材株式会社を設立
・1943年 株式会社田辺元三郎商店を定年退職。日本衛材の育成に専念
・1949年 避妊薬サンプーン公認される。以後、ルチンC、ネオフィリン、チョコラ・シリーズ製品他の新製品を開発発売
・1955年 社名をエーザイ株式会社と改称
・1966年 社長を内藤祐次に譲り、代表取締役会長に就任
・1969年 内藤記念科学振興財団を設立して理事長に就任
・1978年3月20日 逝去(88歳)

参考:https://www.naito-f.or.jp/jp/about/ab_index.php?data=founder

エーザイ株式会社ってどんな会社?

社名 :エーザイ株式会社
所在地:〒112-8088 東京都文京区小石川四丁目6番10号
創業者:内藤豊次

エーザイ株式会社は大手製薬会社です。
コーポレートスローガンに「ヒューマン・ヘルスケア」を掲げています。
2012年の世界医薬品メーカーの売上高では25位、国内では5位に位置するそう。
主力商品は1990年代に発売したオリジナル開発製品のアリセプトとパリエット/アシフェックス。
市販薬としては、ビタミン剤の「チョコラ」シリーズや胃腸薬の「サクロン」、乗り物酔い止めの「トラベルミン」シリーズなどが有名です。

まとめ

内藤豊次氏は、日本でも新薬の研究開発に力を入れなればならないと考え、独力で合資会社桜ヶ岡研究所(現・エーザイ)を立ち上げました。会社を日本でも指折りの製薬会社に成長させ、内藤記念科学振興財団をするなど、人々の健康増進や自然科学の発展に貢献したと言えるでしょう。