豊田理化学研究所の創立者・豊田喜一郎氏はどんな人物?プロフィール・経歴を知ろう!

創業者を知ろう!

豊田理化学研究所の創立者である豊田喜一郎氏はどんな人物なのか?プロフィールや経歴のほか、実績などについて調査しました!

豊田喜一郎氏とは?

豊田理化学研究所の創立者の豊田喜一郎氏は、1894年6月11日に静岡県で生まれました。

1920年に東京帝国大学工学部機械工学科卒業した後、父の意向で経営者になるため東京帝国大学法学部で約7か月学んでいます。
そして地元に戻り、豊田紡織に入社しました。その時期にサンフランシスコやロンドン、オールダムなどを視察しています。
1926年に豊田自動織機製作所を設立。欧米まで出張した際、これから自動車産業が大きく発展すると考え、1933年に豊田自動織機製作所内に自動車製作部門(自動車部)を新設。後にトヨタ自動車工業株式会社(現・トヨタ自動車)として独立し、1936年に副社長に就任しました。1941年には同社の社長に就任しています。1938年に当時荒地だった愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)に土地を買い、自動車工場を建てています。
1952年3月27日、脳溢血のため死去。2001年に日本自動車殿堂の殿堂者に選出され、2018年にはアメリカの自動車殿堂入りを果たしました。

豊田喜一郎氏の経歴・実績

・1920年 東京帝国大学工学部機械工学科卒業、東京帝国大学法学部で学ぶ
・1921年 豊田紡織に入社
・1926年 豊田自動織機製作所を設立、常務取締役に就任
・1933年 豊田自動織機製作所内に自動車製作部門(自動車部)を新設
・1937年 自動車部がトヨタ自動車工業株式会社(現・トヨタ自動車)として独立、副社長に就任
・1941年 トヨタ自動車工業株式会社社長に就任
・1938年 愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)の土地を取得し、自動車工場を建設
・1950年 トヨタ自動車工業株式会社社長を退任、東京に研究所を設立しエンジンの研究を行う
・1952年3月27日 脳溢血のため死去

<受賞歴>
・1950年 藍綬褒章
・1952年 従五位
・1952年 勲四等瑞宝章
・2001年 豊田市の名誉市民
・2001年 日本自動車殿堂の殿堂者に選出
・2018年 アメリカ合衆国の自動車殿堂入り
・2022年 愛知名誉県民の称号を授与

引用:https://www.hisf.or.jp/about/founder/

トヨタ自動車株式会社ってどんな会社?

社名 :トヨタ自動車株式会社
所在地:〒471-8571 愛知県豊田市トヨタ町1番地

豊田喜一郎氏が創業したトヨタ自動車株式会社は、日本最大手の自動車メーカーです。
ダイハツ工業と日野自動車の親会社であり、スバルの筆頭株主。
2022年のトヨタグループの販売台数は1,048万台と、3年連続で世界1位になったそう。
世界有数の自動車メーカーの1つで、2022年における企業ブランド力は世界第6位です。

まとめ

豊田喜一郎氏は、世界最大の自動車メーカーの1つであるトヨタ自動車株式会社を作った人物です。経営者、技術者、トヨタ自動車の創業者として多くの功績を残しました。
自動車産業の発展に尽力したほか、豊田理化学研究所を設立して学術・産業の発展に貢献した人物と言えるでしょう。