市村清新技術財団の創立者・市村清氏はどんな人物?プロフィール・経歴を知ろう!
公益財団法人 市村清新技術財団の創立者である市村清氏はどんな人物なのか?プロフィールや経歴のほか、実績などについて調査しました!
市村清氏とは?
市村清新技術財団の創立者である市村清氏は、1900年4月4日佐賀県で生まれました。
リコーをメインとするリコー三愛グループの創立者でもあります。
「人の行く裏の道あり花の山」が座右の銘とのこと。常識の裏をかくアイディア社長として一世を風靡したそうです。
学生時代は経済的困窮、その後戦争を経験しています。1936年、理研感光紙株式会社の専務取締役に就任。その2年後に理研光学工業に名称変更し、後のリコーとなります。
終戦後の1945年に「人を愛し、国を愛し、勤めを愛す」の三愛主義をスローガンに掲げ三愛商事(現・三愛)を設立しました。その後三愛石油、西銀座デパート、日本リースなど次々と会社を設立。また、理研光学「リコーフレックスⅢ」の大ヒットにより大衆カメラブームを巻き起こしました。
また、経営不振に陥った高野精密工業の社長となり、立て直しに成功しています(現・リコーエレメックス)。
市村氏は「経済の神様」としてマスコミなどにもてはやされました。
市村清氏の経歴・実績
・1929年 理研感光紙九州総代理店を開業
・1933年 理化学研究所所長大河内博士の招聘により理化学興業(株)感光紙部長に就任
・1936年 理研感光紙(株)を創立 (現・リコー)
理研コランダム(株)ほか14社の理研コンツェルン各社の社長および取締役に就任
・1945年 三愛商事を創立、銀座四丁目に「三愛」を開店
・1952年 三愛石油(株)ほか9社を創立、取締役社長に就任
・1961年 藍綬褒章を受章
・1962年 リコー時計(株)(現・リコーエレメックス)、日米飲料(株)ほか12社の社長および取締役に就任
・1963年 紺綬褒章を受章
(株)日本リース・インターナショナルを創立、取締役社長に就任
・1964年 三愛運輸(株)を創立、取締役社長に就任
・1965年 紺綬褒章を受章
・1967年 東北リコー(株)、三愛不動産(株)、佐賀放送(株)を創立、取締役社長に就任
・1968年 12月12日、新技術開発財団設立許可
12月16日、逝去
12月18日、生前の功労に対し従四位勲三等旭日中綬章を贈られる
参考:https://www.sgkz.or.jp/outline/
株式会社リコーってどんな会社?
社名 :株式会社リコー
所在地:〒143-8555 東京都大田区中馬込1丁目3番6号
創業者:市村清
株式会社リコーは、事務機器、光学機器などの製造メーカーです。
コピー機をはじめ、FAX、レーザープリンターやそれらの複合機、カメラが主力製品。
OA機器分野では、「販売のリコー」とも称されるほど広く厚い販売ネットワークを有し、都心の大型ビルなどでは、毎日リコーの営業スタッフが目を光らせているともいわれるほどなのだとか。
まとめ
市村清氏は、経済的困窮や戦争など苦労を重ねていましたが、終戦後には様々な会社を設立し「経営の神様」とまで呼ばれるほどの経営手腕を見せました。OA機器やカメラなどで知られるリコーの創業者でもあり、藍綬褒章を一度、紺綬褒章を二度受賞しています。アイディア社長として、日本経済の発展に貢献した人物の1人と言えるのではないでしょうか。