日本財団60周年まとめ情報(1962年~1990年)

財団の周年まとめ

公益財団法人 日本財団は2022年に設立60周年を迎えたようです。
「みんなが、みんなを支える社会」を目指している財団の歴史についてまとめてみました!今回は1962年~1990年頃について紹介します。

財団法人 日本船舶振興会

日本財団は、1962年10月1日に「財団法人 日本船舶振興会」として発足しました。
1952年にモーターボート競走を初開催したそうです。順調に収益を伸ばし、その収益の一部を機械工業の振興の財源にあてています。
1962年にモーターボート競走法が一部改正され、体育・文化・社会福祉など多岐にわたる分野のサポートができるようになったといいます。それに伴い、交付金取扱団体として、日本財団の前身である財団法人 日本船舶振興会が設立されました。初代会長は笹川良一氏が務めています。

歴史あるイベントに協賛

1964年、東京オリンピックが開催されました。振興会は大会準備資金の用意に協力し、1962年度~1964年度まで、財団法人 東京オリンピック資金財団に対し、ボートやヨット、カヌーなどの購入資金を提供したとのこと。
1962年には、マラッカ・シンガポール海峡の航路整備事業に助成をスタートしました。
さらに1970年、日本万博博覧会(大阪万博)に協賛したといいます。77か国が参加し、183日の開催期間に約6400万人が来場したそうです。

1975年に実施された海洋を対象とする世界初の国際博覧会・沖縄国際海洋博覧会には、モーターボート競走業界と一緒に協賛したとのことです。
1974年に完成した「船の科学館」を中心とする地域で、1978年に宇宙科学博覧会が開催された際は、振興会も主要な推進母体として、協賛及び観客誘致などを行っています。

災害・疾病などへの援助

1971年にトルコ地震が発生し、財団は初めて海外での非常災害援助を行いました。災害援助事業は国内外での地震・火災・風水害などの発生に対し災害援助金を支出するものです。これ以後、国内のみならず海外での大きな災害へ援助を続けているようです。

笹川会長は、インドをはじめフィリピン、台湾、韓国などのハンセン病問題に個人的に協力してきたそうです。1975年から、WHOと協力して本格的な制圧活動をスタート。1974年には笹川記念保健協力財団(現・笹川保健財団)も設立しています。ハンセン病と同様、WHOと協同して取り組んだ天然痘については、1980年に撲滅を宣言しました。

1977年には難民救助事業をスタートしています。アンゴラ、フィリピン、ザイール、ジンバブエ、エチオピアの各難民の救援資金のため国連難民高等弁務官事務所への協力援助を始めたそうです。また、国連パレスチナ難民救済事業機関への援助も開始しています。
1981年には、本格的に海外協力援助事業をスタートしました。
1984年、中国残留日本孤児の帰国事業にて資金援助をスタート。初年度には170名が日本に帰国したようです。
1990年には、チェルノブイリ原発事故への救済援助活動を始めました。旧ソ連政府から民間医療協力の要請があり、笹川記念保健協力財団を通して医療協力を行ったようです。

まとめ

日本財団の前身である日本船舶振興会は、船舶や海洋に関するイベントの協賛だけでなく、国内外の災害援助、疾病や難民に対する援助を行ってきたことがわかりました。東京オリンピックや大阪万博など、日本の歴史に関わってきた組織だと言えるでしょう。