日本財団60周年まとめ情報(1991年~2010年)

財団の周年まとめ

2022年に設立60周年を迎えた公益財団法人 日本財団の歴史についてまとめてみました!今回は1991年~2010年頃について紹介します。

ボランティア団体・NPOなどと信頼関係を築く

福祉車両(車椅子対応車)の配備事業を1994年に開始しています。以降、高齢者・障がい者福祉の拡大に伴って、訪問入浴車、送迎支援車、介護支援車など、その時の需要の変化に応じて対応しているそうです。
阪神淡路大震災は、国内でのボランティア活動の歴史に大きな影響を与えたといいます。1997年度まで4年にわたり、104件の緊急復興支援活動をサポートしたとのこと。さらに復興サポートとボランティア活動の定着を目的とした「阪神淡路コミュニティー基金」を設けました。ボランティア団体・NPOなどとの信頼関係を構築していったそうです。

日本財団のスタート

1995年7月、初代会長を務めた笹川良一氏が96歳でこの世を去りました。同年12月、曽野綾子氏が会長に就任。1996年には「日本財団」のニックネームと、シンボルマークが決められたといいます。
シンボルマークは松永真氏が担当し、笑顔に満ちた人の和を表すキャラクターと、海洋と大地をイメージした色使いで、日本財団の姿勢を表現したそうです。

ホスピス・プログラム

1996年、専門家によるホスピス研究会を立ち上げ、適切なホスピス・緩和ケアの普及・推進のための提言に基づいて、啓発活動、設備整備、人材育成を3本柱とするホスピス・プログラムをスタート。
2005年には、医療依存度の高い人が、住み慣れた住まいに近い環境で最期まで自分らしく生活することをサポートするため、地域の中にある民家を改修したホームホスピスの整備も行っています。

海洋に関する支援活動

1997年にロシア籍タンカーの「ホトナカ号」が日本海で沈没し、海に重油が流出してしまいました。すぐに現地入りした阪神淡路大震災救援のボランティア団体と協力し、ボランティア受付のためのセンターを設置したとのこと。迅速なセンター開設により、全国から1,000人を超えるボランティアが駆け付けたそうです。

また、1999年から海賊被害の実態調査を実施。翌年、シンガポールで海賊対策国際準備会合や、東京での海上保安庁長官級会議の開催をサポートするなど、海の安全に関する国際協力の新しい枠組みづくりを実施したといいます。

2010年には、宮崎県の青島海水浴場で、渚の交番プロジェクトをスタートしました。マリンスポーツから地域振興まで、様々な海の活動の拠点として、既存施設を改修するプロジェクトを行っています。

多様なサポートを実施

日本財団は、ほかにも犯罪被害者やその家族をサポートするため、財団法人 犯罪被害救援基金に対して助成を行ったり、長野冬季オリンピック・パラリンピック大会を支援しています。
笹川良一氏が行っていたハンセン病への制圧は、理事長の笹川陽平氏に引き継がれたようで、同氏は2001年にWHOからハンセン病制圧大使に任命されています。同財団は、世界中で病気の制圧と差別撤廃に向けた取り組みを続けているとのこと。
2005年には笹川陽平氏が日本財団の三代目会長に就任しています。

文化的な支援にも力を入れており、2002年には若手奏者への発表機会提供のため、日本財団ビルにて無料のランチタイムコンサートを開催し、以降月2回のペースで継続して開催しているのだとか。

まとめ

日本財団は、海洋に関する支援は継続しつつ、災害や疾病、福祉、国際、文化など、幅広いフィールドにて支援を行っているようです。